My Favorite Things

~好きなこと、好きなもの、日々雑感~

Boston~思い出を辿る旅⑧~

memory lane を辿る散歩は続きます。

Beacon HillからCharles Streetを通ってBoston Commonへ。

 

Charles Streetで思いがけず懐かしいお店を通りかかりました。34年前にこのお店の前で撮った写真を大切に持っています。もちろんリニューアルされた箇所はあるけれど、店構えや雰囲気などで”あのお店”だとすぐにわかりました。

地元の人や他の観光客にとっては何でもない八百屋さんしょう。でも私にとっては甘酸っぱい青春の一コマの風景なのです('ω')

店内も可愛くて"映え"ます。吊るされたバナナもイイ感じ。

 

このお店からBoston Commonへはすぐでした。Boston Commonは1634年に創られた全米最古の都市公園で20ヘクタールもの大きさがあります。今は市民の憩いの場ですが、その昔はピューリタン達の集会場として使われていたそうです。

20歳の頃ボストンに来たばかりの時、この公園をクラスメイトと散歩したことを懐かしく思い出しました。

広い芝生広場の向こうにダウンタウンのビル群が見えます。この日は休日で、何かイベントが開かれているようでした。

ボストンといえばリス。公園内のそこかしこで見かけました。

 

Boston Commonのすぐ隣にはPublic Gardenがあります。1837年に創立された全米最古の植物園。ボストンは"全米最古”が多い、歴史ある街なのです。

この植物園、私が行った時期は残念ながら花は見られませんでしたが、春はチューリップなど花が咲き乱れとても美しいとのこと。ちなみに映画『グッドウィルハンティング/旅立ち』や『テッド』にこの公園が登場します。

公園内には初代アメリカ大統領ジョージ・ワシントンの像があるのですが、工事中のようでビニールシートに覆われており見られませんでした。

この後Public Gardenを横切りお洒落なNewbury Streetへ。思い出の地巡礼が続きます。

To be continued...

Boston~思い出を辿る旅⑦~memory lane

"take a trip down memory lane"

最近オンライン英会話で覚えたお気に入りの表現です。意味は「過去の楽しかった思い出の数々に思いを馳せる」。思い出を辿る今回の旅にピッタリな言葉です。

 

さて念願のボストンクリームパイを堪能した後は、歩いて思い出の場所を回りました。今はアプリのおかげで紙の地図を持ち歩く必要もなく、息子がスマホを使ってナビ担当をしてくれました。

 

まずはBeacon Hillへ。Beacon Hillは18~19世紀の赤レンガの建物が立ち並ぶ高級住宅地で、どこを切り取っても絵になる美しい街です。かつて作家のオルコットやホーソンもこの街に住んでいました。南北戦争前の奴隷解放運動の中心地の一つであったという興味深い歴史もあります。

Halloweenのデコレーションが可愛い♡落ち葉がいい感じです。

著名な歴史家フランシス・パークマンが暮らした家。国定歴史建造物に指定され保存されています。

 

そしてBeacon Hillの中でもよく絵葉書に使われる人気の通りがAcorn Street。細い坂道は未舗装の石畳、風情たっぷりの歴史ある建物とガス灯。とてもロマンチックな小道で雰囲気抜群です。ちなみにacornとは「どんぐり」という意味。

私はこのAcorn Streetで34年前に撮った写真をずっと大切に持っていて、今回同じ場所で写真を撮ると決めていました。

Acorn Streetは34年前と変わらない、優しい佇まいでそこにありました。同じ場所で撮影できて大満足♪

 

Beacon Hill に向かう途中で、Massachusetts State Houseマサチューセッツ州会議事堂)の前を通りました。建物のシンボルである金箔のドーム屋根が目を引きます。ドーム頂上の松の実の飾りは、植民地時代はボストンで製材業が重要であったことを表しているとか。

議事堂の敷地内にはジョン・F・ケネディの像もありました。ケネディはボストン生まれ。生家はBrooklineという地区にあり家の中も見られるので興味ある方はぜひ。

To be continued...

Boston~思い出を辿る旅⑥~Boston Cream Pie

時差ボケは、体内時計の関係で西よりもアメリカなど東方面へ行くほうが辛いといわれます。確かに私もボストンへ行くより日本へ帰国するほうが、時差ボケからの回復が早かったです。

何度もアメリカと日本を行き来しているボストン在住の友達もガイドさんも、全くの同意見でした。皆50代以上ですから、年齢のせいも大いにありますね( ;∀;)

 

さて一夜明けてバリバリ時差ボケ状態のなか、ある場所へ朝食を食べに向かいました。

Omni Parker House Hotel 内のParker's Restaurant。ここでボストン名物のお菓子、Boston Cream Pieを食べるためです。

ボストンクリームパイは1856年にParker's Restaurantのシェフによって発案された、ボストンを代表するお菓子。

今や市内の色々なお店でアレンジされたものが売っていますが(日本でも売ってるらしい)、オリジナルレシピの本物を食べられるのは、世界でここだけなのです!

 

そしてParker's Restaurantにはもう一つ有名な話があります。

1953年にJ.F.ケネディが、このレストランの40番テーブルでジャクリーンにプロポーズしたこと。ケネディは小さなヴェルヴェットの箱からエメラルドダイヤの指輪を出し、跪いて"Jackie, Will you marry me?"と求婚し二人はキスを交わしたそうです。ロマンティックですね~♡♡

 

さて話を戻します。宿泊先のホテルからライドシェアのUberを利用して、歴史あるOmni Parker House Hotel(1927築)に到着.。レストランは1階にあり、緊張しながら入口へ。あまりやる気のない受付レディに席へ案内され、メニューを開きます。

 

英語のメニューです(当たり前)。でも朝食メニューなので単語が簡単でわかりやすかった。

そして、あったー!メニューの下のほうにBOSTON CREAM PIEの文字が♪人気の名物スイーツなので、特別に朝食時間帯にも提供されているのです。

 

まずはオレンジジュースとコーヒーがなみなみとサーブされます。その後はグラスやカップが空になる度に、おかわりはいるかとエンドレスに聞いてきます。わんこそば状態(笑)

最初は断れずにYes,please。でももういらない。。そうだこういう時は"I'm good. Thank you, anyway "と言うんだよねと思い出し、途中からにこやかに断ることができました。

 

息子と私は各々の朝食プレートと、ボストンクリームパイはシェアすることにして1個だけ注文しました。

10分くらいでベイクドポテト&コンビーフスクランブルドエッグの鉄板皿と、ボストンクリームパイが同時に来ました。朝食プレートはホカホカで美味しい。量は多いけど息子は完食してました。

 

いよいよ念願のボストンクリームパイを試食♪

パイという名ですがケーキです。スポンジケーキは軽くてふわふわ、挟まれたクリームも上にかかったチョコもほどよい甘さ。上品なお味でとても食べやすかったです。大満足でした♡

 

食事が終わると会計という試練?が待っています。ボストンに来て初めて、レストランで会計するので緊張します。チップもきちんと払わなければなりません。昔と違い今はカードでの支払いが主のため、チップもカードで払います。

このレストランでは最初にチップなしの合計金額が載ったレシートが渡され、下のほうにチップの目安金額(10%、15%、20%)が印刷されてました。自分でレシートにチップの金額と最終の合計金額を記入してスタッフに渡します。

 

この時は高級レストランだしサービスも良かったので20%にしました。実際、18~20%が失礼の無い金額らしいですが、高いなあ~!ただでさえ円安なのに。

チップを20%にしたせいか、それまでクールな態度だった男性スタッフが、会計時に満面の笑みでThank you so much!と言ってきたのが印象的でした(笑)

ボリュームたっぷりの朝食。真ん中に置かれたのがボストンクリームパイです。

トッピングされたナッツの香ばしさで気品ある味に。甘酸っぱいベリーもよく合います♡また食べたいなあ。

To be continued...

Boston~思い出を辿る旅⑤~ホテルへ

スーツケースをガラガラ引いてターミナルEのEXITを出て、1階の車寄せに向かいました。ここである方に会うためです。

その方は私たちをpick upするために待機してくれていました。

空港からホテルまでは、当初タクシーか地下鉄で向かうつもりでしたが、度重なる領事館からの注意喚起メールに急に怖くなった私。到着が夜だし、疲れた身体で異国の地に降り立つ自分を想像すると、空港の迎えだけでも安心できる人に頼みたい気持ちが強まりました。でも現地の友達は私よりだいぶ年上なので無理なお願いはできません。

 

ネット検索すると、日本人が経営する現地の旅行会社に送迎サービスがあるとのこと。早速問い合わせたところ、料金が信じられないほど高い!予算的にとても無理なので途方に暮れた気持ちで検索を続けると、「ロコタビ」というサイトに辿りつきました。旅行者と、個人で送迎やガイドをしている現地在住日本人とのマッチングサイトです。

 

最初は怪しいのではないかと少し不安でしたが、結果とても信頼できる素敵な方とつながることができリーズナブルな料金で送迎をお願いできました。

ボストン在住20年以上。私と同年代の女性で、ガイド経験豊富で口コミ評価もとても高い。メール返信が早く丁寧。渡航前にはボストンの現地情報を、どんなに細かなことでも迅速かつ親切におしえてくれました。

彼女の現地生情報と役立つアドバイスのおかげで、渡米前の不安がどれほど軽減されたことか。本当に感謝しています。

 

実際に会った彼女も優しく明るく礼儀正しい方でした。ホテルに行く前にコンビニで軽食を買えないか相談したら、嫌な顔ひとつせず遠回りして「セブンイレブン」に寄ってくれました。

ボストンのセブンは日本に比べると品揃えは桁違いに少ないですが、美味しいバゲットサンドを変えました♪ボストンに着いて初めての買い物は、コンビニでもドキドキしましたよ('ω')

 

さてホテルに到着。入口にいたおじさんはとても感じがよく"Welcome!"とニコニコ迎えてくれました。で、緊張のチェックインです。

フロントデスクの若い女性にチェックインしたい旨を告げました。たしかFamily nameを聞かれたので苗字を伝えると、ブッキングリストにないというではないか!

こんな時のためにBooking.comの予約確認メールと、ホテルに直接予約確認した際のメール記録を印刷して持っていました。

それを見せる前に向こうが何かIDあるかと聞いてきたので、パスポートを提示。私の名前を確認して「あ、予約ありました。」と。何だか名前のスペルが間違ってどうのこうのと言ってました。なんかちょっと怪しいけど無事check in。

 

その後彼女はホテルについての説明を超高速英語で喋りまくりました。10分の3くらいしか聞き取れなかったけど、疲れていたので聞き直す気力もなく鍵を受け取って部屋へ直行。

割と新しめの建物なので部屋はきれいで設備も整っていました。欲を言えばお風呂にバスタブが欲しかったのと洗面所のお掃除に改善の余地ありでした。でも事前のリクエストどおり眺めのよい部屋にしてくれたのはgood job です。

 

宿泊したSeaport Hotel Boston。港に近いのでお散歩が気持ちよかったです。

 

To be continued...

 

Boston~思い出を辿る旅④~到着

成田を発ったJAL0008便は、現地時間18時過ぎに無事ボストン・ローガン空港に着陸しました。日本とは-13時間の時差で、1日戻る感じです。

 

さて長時間フライト後の疲労を癒す間もなく、入国審査の長い列に並びます。審査ブースの数が少ない割には、思ったより列の進みが早く助かりました。

家族は一緒に審査してもらえるので、二人で指示されたブースに向かいます。この時は緊張しましたねえ!

アメリカの入国審査はとても厳しくなっていると聞いていたので、YouTubeで予習したり、オンライン英会話の先生にロールプレイをお願いしたりと何度も練習しました。

 

てきぱきした若い審査官にパスポートを要求され、その後一人ずつ写真撮影と指紋採取(4本指と親指)。その後入国の目的と滞在日数を聞かれ、あっという間に終了。

え?それだけ?職業とか滞在先とか手持ち現金の金額とか、聞かないの?練習したのに(笑)

無事入国できてよかったけど、あまりにもあっさりしていて拍子抜けもしました。

帰国後にこの話を英会話の先生にしたら、見た目がsuspicious(怪しい)じゃないからよ~とのことでした。

 

ところが、安心したのも束の間。この後に最初のアメリカ的洗礼と思える体験が待っていたのです。

スーツケースも回収し到着ロビーに座って息子と二人、レンタルwifiの設定に格闘したあと出口に向かっていると突然、背の高い空港職員が近づいてきました。

"Passport ! "とひとこと。pleaseとか付けないのね~何だか威圧的。

どこから来た?目的は?

 

私はとにかく怪しい人物ではないと表明するため、笑顔で、ハッキリ答えました。もちろん内心はドキドキです。

すると職員の表情が緩んでフレンドリーな態度に変わり、少し会話してから笑顔で"Enjyoy your stay!"と送り出してくれました。

あ~びっくりした。

wifi格闘でしばらくロビーに座ってたから怪しく見えたのかな??

 

このあと息子が「お母さんのリスニング力すごいね」と母を見直してくれたようで?嬉しかったです。審査官の英語はネイティブの超高速スピードだったのですが、聞き取ることができ対応することができた。勉強の成果が発揮できてよかったと満足し自信になりました。

が、これはまだほんの序の口。試練はこれからでした。。

 

それにしても成田空港でもローガン空港でも感じたのは、到着ロビーより出発ロビーのほうが綺麗で開放感がありキラキラ☆彡してますね。

 

ローガン空港、出発ロビーからの景色です。

遠くに海とボストンらしい可愛らしい家々が見えます。飛行機が着陸の際に窓からこの風景が見えて、34年前の自分に思いを馳せ涙が出ました。

 

次回、ボストン滞在が始まります。

To be continued...

Boston~思い出を辿る旅③~出発

出発当日、天気は晴れ。10月だというのに東京はまだ少し暑かった。

息子と私、それぞれのスーツケースと機内持ち込み用バッグ、貴重品を入れたショルダーバッグの中身を最終確認。まあ最低限パスポートとクレジットカード、少しの現金さえ忘れなければ何とかなるよね、と言いながら家を出ました。

 

成田までは日暮里から京成スカイライナーを利用。スカイライナーに乗ってしまえば空港まであっという間なので、我が家の場合は羽田空港へ行くよりも便利です。

心配性の私は、離陸4時間前には空港に到着。実際、これくらいの時間が必要でした。

 

超久しぶりの海外旅行。成田での出国手続きすべてに、人の何倍も時間がかかりました。搭乗手続きは自動チェックイン機にトライして何とかクリア。

ところが預け荷物の機械操作が複雑でうまくできない。見かねたJALスタッフさんがカウンターで預かってくれました。最初から無理せずカウンターに行けばよかった( ;∀;)

 

その後予約していたポケットwifiを受け取りに行き、保安検査を無事通過。軽食を食べつつwifiの設定などしているうちに、あっという間に搭乗口へ行く時間になりました。

さて搭乗口前の待合シートで搭乗開始を待っていると、息子に今までにない変化が起こったのです。

 

それまでは私の不安と緊張を冷静に取り除き、出発前日も「全く緊張していない」と余裕だった息子の顔が、明らかに強張っている。「緊張してるの?」と聞くと「うん、緊張してる。」と素直に認めました。

私は逆に準備段階に心配Maxで事前にできる対策は全てやったので、この時点では完全に腹が据わり、落ち着いていました。

もしかしたら息子は、私の心配を減らすために自分の緊張は隠してきたのかしら?だとしたら申し訳なかったです( ;∀;)

 

日本からボストンへの直行便が就航したのは2012年。JALが1日に1便、運航しています。行きは約13時間、帰りは約14時間のフライト。乗り継ぐよりは楽かもしれませんが長いですよね。。

さあ搭乗案内が始まりました。搭乗口94番から18:25発のJL008便に乗っていざボストンへ。

To be continued...

 

Boston~思い出を辿る旅②~出発前のアレコレ

今回の旅はボストンに絞ると決めてから日程の調整、フライト変更、ホテル予約など準備を急ぎました。フライト変更は、JALの親切な電話オペレーターさん(男性)が親切に手際よく手続きしてくれ助かりました。

宿泊に関しては、3泊目からは大学のゲストハウスを予約済だったので最初の2晩を過ごすホテルをリサーチ。

 

現地ホテルの選択については口コミ(できれば日本人宿泊客の)に頼るしかなく、Booking.comなどのレビューを読みまくりました。そして良さそうなホテル2泊分を何とか確保。

確保といっても海外の予約サイトを通してなので、一抹の不安が。結局はホテルに直接予約確認のメールを送り、返事をもらってようやく安心という次第でした( ;∀;)

このホテル、チェックイン時に「え?」みたいなことがありましたがその話はまた後日。

 

大学のゲストハウスも管理者はアメリカ人。夏に予約した時はなかなか返事が来ず、けっこうヤキモキしました。出発直前にライン交換できた後からは、とてもスムーズで現地でも気持ちよく過ごせました。

 

そんなこんなで着々と準備を進めるなか、ある日ボストンの日本領事館から一通のメールが届きました。外務省の海外安全情報配信サービス「たびレジ」からです。「たびレジ」に登録すると渡航予定先の最新の安全情報が受け取れます。

その内容は…

「ボストンの〇〇地区(犯罪発生率の極めて高いエリア)で銃撃事件発生。まだ容疑者が特定できていません。邦人の皆さまにおかれましては…」という注意喚起情報。

 

ボストンはアメリカでは比較的治安の良い都市ですが、安全な地域と危険な地域がくっきりと分かれています。

この注意喚起メール、通常なら必要な情報ではありますが、渡航前の期待と不安が入り混じった不安定な心理状態で受け取ると、けっこうダメージ受けます。

 

急にテンションがダダ下がりした私をよそに、夫と息子はいたって冷静。アメリカなんだからそんなのフツー、危険な地区に近寄らなければいいじゃん。事件が起きたあとは寧ろ警備が強化されて安全になるよ~と。

はい仰る通りです。。日本が特別に安全な国であることをすっかり忘れてました。わかっていた筈なのにイザとなると怯むものですね。

 

さて気持ちを立て直し準備に戻りました。が、その矢先にまたも領事館から注意喚起メールが来たのです。いや~な予感。

「ボストンの地下鉄内で夜10時頃、アジア人の男女が差別的な言葉を浴びせられ車両の窓ガラスを割られました。邦人の皆さまにおかれましては…」

あああ。。

この時ほどメール登録したのを後悔した瞬間はなかったです( ;∀;)

 

もちろん再びテンションが下がりましたが、この時も息子が落ち着いて事態を捉えてくれたので、粛々と準備を続けることができました。私より遥かに冷静で感心しました。

 

若い時のアメリカ旅行は、不安よりも楽しみが断然勝っていました。悲しいかな歳を取るとあれこれ心配してしまいます。私自身の性格もありますが。

それに息子を私の旅に付き合わせる以上、彼を生命の危険に晒してはならぬ(大げさかな?)という責任も少なからず感じていました。

 

そんな落ち着かない日々も過ぎ、渡航2~3日前には「腹が決まって」不安より元々のワクワク感が戻ってきて、楽しい気持ちで出発の日を迎えることができました(*'▽')

To be continued...